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  • 1871年、普仏戦争後のプロイセン(ドイツ)によるアルザス併合によって、ドイツのものとなったストラスブール。併合後まもなくして、アグノーの床屋の息子が、ストラスブール大聖堂の広場の北側に店を構え、家具、銀器、陶磁器、象牙細工品などを売り始める。ストラスブールにおける骨董屋の誕生である。1900年頃、近くにアトリエを構えていた陶芸家のシャルル・バスチャンが、当時の店主であったジュリーと結婚した。シャルルが描... 続きを読む
  • 象徴…それは、壮大な企て。モン・サン=ミシェルといえば、世界遺産に登録される、フランスを象徴する地方の観光名所だ。カトリックの巡礼地、修道院という点に注目したのなら、「アルザスのモン・サン=ミッシェル」として、間違いなく挙げられるのは、聖オディール修道院だろう。歴史的重要性、象徴という点に注目し、「神聖ローマ帝国のモン・サン=ミッシェル」を挙げるとしたら…それは、アルザスの空に浮かぶオー・クニグスブ... 続きを読む
  • アルザスには、目に問題を持った人々が多く訪れる修道院がある。標高約753mの岩山の頂上にある聖オディール修道院だ。7世紀半ば、アルザスの公爵アダリック(別名エティション)は、長男の誕生を待ちわびていた。ところが、生まれたのは女の子。しかも生まれつき盲目ときたものだ。すぐに殺してしまおうとする父。母の助けで、ブルゴーニュの修道院に隠れながら過ごしたオディールは、洗礼の日、視力を取り戻す。弟の助けでオディ... 続きを読む
  • 現在、レピュブリック広場の中心には、白い石で作られた戦没者慰霊碑が置かれている。ドイツ統治下の、第一次大戦中は、共和国広場は皇帝広場と呼ばれ、中央にはドイツ皇帝の騎馬像が置かれていた。1936年以降、死にゆく2人の息子を悼む母の像に取って変わられている。この像こそ、アルザスの過去と未来を反映する作品だ。息子たちはフランス側とドイツ側を向き倒れている。2人を抱えて、悲しむ母。かつて、2つの国(ドイツとフラ... 続きを読む
  • 1871年、ドイツに併合されたストラスブールは、新しく、ライヒスランド(Reichsland)の名で、ドイツの拠点都市として生まれ変わろうとしていた。ドイツは都市整備を進め、ストラスブールの面積をそれ以前の都市面積の3倍ほどに広げようとした。その時、もともとの旧市街の景観を壊さずに、イル河の外側に作られ、ドイツの中心となる機関が置かれたのが、ニュースタッド(Neustadt、「ドイツ地区」とも呼ばれる)である。ロータリ... 続きを読む

ぶるぐれんとうざき

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フランスの東端アルザス地方の伝統と文化を伝えるため、毎日の生活や読みものから得た情報を独自の視点でお伝えしていきます。

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