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20世紀最も有名なアルザス人、アルベルト・シュヴァイツァー博士

1875年1月14日
当時ドイツ領だったカイゼルスベルク(Kaysersberg)に生まれたアルベルト・シュヴァイツァー。
生後まもなくして、グンスバー(Gunsbach)の町に移り、
社会的地位の高かった牧師の子として、比較的裕福な家庭で育つ。
アルベルト・シュヴァイツァー博士
彼の一生を決定付けた出来事として語られる話がある。
幼い頃、同級生の少年と取っ組み合いの喧嘩をして、シュヴァイツァーが相手を組み伏せた時、相手の少年はシュヴァイツァーに向かって「俺だって、お前の家みたいに肉入りのスープを飲ませてもらえれば負けやしないんだ!」と叫んだ。これを聞いたシュヴァイツァーは心に激しい衝撃を受け、「同じ人間なのに、なぜ自分だけが他の子供たちと違って恵まれた生活をしているのか」と、子供心に本気で苦悩したという(Wikipedia情報)。

7歳の頃からピアノを習い、9歳で既に教会のオルガンを弾いていた。
その後、多彩な能力を発揮し、当時ヴィルヘルム2世占領下の名門ストラスブール大学に入学。
その後、カントの思想を中心に哲学博士、プロテスタント神学を中心に神学博士を取得する。
サン・ニコラ教会で牧師、オルガニストを務める傍ら、ストラスブール大学神学科の講師となり、1902年~1912年にかけて、教鞭をとった。
聖トマス教会のオルガン


21歳のとき、「30歳までは科学と芸術に生き、その後は人類への奉仕に人生をささげよう」と決心。
1905年、30歳から新たにストラスブール大学の医学部に入学。
神学科の講師でありながら、医学部の学生となった。
1912年、彼をずっと支えてきたエレーヌ・ブレスローと結婚。
翌年、38歳で、医師資格を取得し、当時医療施設に困っていたガボン(当時仏領赤道アフリカの一部)のランバレネへ、夫婦共に旅立つ。
41歳のとき、「生命への畏敬」という概念にたどり着き、後の世界平和への訴えとなった。

わたしたちは、
生きようとする生命に囲まれた、
生きようとする生命である。

倫理とは生命に対する畏敬の念以外の何ものでもない。


本国フランスのアルザスが、ドイツとフランスの領有争いの紛争地となっていた、激動の時代を生きたシュヴァイツァー博士。
医療活動も第一次世界大戦などによって、中断されたり、捕虜となったりすることもあった。
1918年、フランスによるアルザス併合の際にフランス国籍を取得している。

病院の資金援助のためにパイプオルガンの演奏活動を行いながら、アフリカでの医療活動とヨーロッパにおける講演活動とを繰り返した。忙しい!
その献身的な医療奉仕活動と反核運動が評価され、1952年度のノーベル平和賞を受賞。

1965年に90歳で死去し、ランバレネに埋葬。

多才な偉人の誕生日が今日だった。
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