ストラスブール大聖堂正面にのびるメルシエール通りの西側にあるこの
グーテンベルク広場(Place Gutenberg)は、中世時代から400年以上にわたって、行政、司法、金融の中心の広場であった。

広場の真ん中には、旧約聖書の一節「こうして、光があった」を得意げに広げたグーテンベルクの像が立っている。
グーテンベルクはドイツのマインツ生まれだが、1434年にストラスブールに移り住み、
ルネサンス三大発明の一つ、
活版印刷術を実用化した。
地元のマインツで、ラテン語の
旧約・新約聖書を初めて印刷したのも彼。
初めは、カトリック教会に利用され、
贖宥状(免罪符)を大量に印刷した。

しかし彼の死後、16世紀に入って、ルターの『
95箇条の提題』を印刷することとなる。

アルザスの印刷業者を中心に
宗教改革がヨーロッパ中に広まっていった。

像の後ろにある現在商工会議所(Neubau)として利用されている建物は、1582年~1585年に建てられた旧市役所で、市参事会の会議所として使われていた。

大聖堂以外で初めて切石を利用して建てた大胆な建物であり、この地方の典型的な木組みの家とは一線を画していたため、当時は物議を醸した。
屋根にあるたくさんの窓は、穀物を置いておくスペースだったところで、昔は窓は無く、1年中風通しのよい状態に開け放されていた。
3階建ての建物が、
3つの時代(toscan ionique corinthien)を反映しながら、規則正しく重ね上げられている。
外壁には、商人・盗人・旅行の神ヘルメス(Hermès)と様々な同業組合を表す顔が彫られている。

「商人の神と泥棒の神は同じ」
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