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ストラスブールを歩く・23―横に長い、ブログリー広場

クレベール広場から少し東へ足を進めると、これまた大きな広場、セイヨウシナノキの立ち並ぶブログリー広場(Place Broglie)に出る。毎週蚤の市が開かれ、クリスマスマーケットの主要広場となる広場だ。
ブログリー広場

広場には、ストラスブール市役所が面しており、週末には結婚式が開かれている。
市役所

奥には、1821年に建てられたオペラ座(Opéra)があり、見事なイオニア式の6本の柱の上に、ミューズたちを称えている。
オペラ

オペラ座の手前には、フィリップ・ルクレールのモニュメントがある。
ブログリー広場

ル・クレール将軍は、第二次世界大戦中に自由フランス軍を率いてノルマンディー上陸作戦に参加し、パリ入城を果たしたことで知られる司令官だ。
ブログリー広場

1940年チャド軍司令官、1941年クーフラ占領、1942年フェザーン占領、1943年トリポリ占領、チュニジア侵攻作戦に参加、1944年パリ、ストラスブール解放、と彼の経歴を刻んでいる。

ところで、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、この広場で生まれたと言われている。
ブログリー広場
作詞・作曲したのは、ルージェ・ド・リール将軍。1792年、フランス革命勃発後、フランス国家の勢いに陰りが見え始めていた時代、それでも国境沿いの地方に住む軍人たちはライン河を超えて、隣国オーストリア大公国へ戦いを挑まなければならなかった。
そんな軍人たちを鼓舞するため、ド・リール将軍は一夜にして、この歌を作った。
この歌は、もともと、アルザス発祥の「ライン軍のための軍歌」であったわけである。

メリハリのあるメロディーは人々に好まれ、瞬く間に広まった。
マルセイユの義勇軍がパリに入城したときに口ずさんでいたことをきっかけとして、パリ市民の間で流行した。
マルセイユ人が歌っていたので、「ラ・マルセイエーズ(マルセイユの歌)」という名前がついてしまった。
本来なら、「ラ・ストラスブルジョワズ(ストラスブールの歌)」になっていたかもしれないのに!とても残念なことである。
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ぶるぐれんとうざき

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