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アルザス最古の骨董品店バスチャン。家族で守る、自由の象徴

1871年、普仏戦争後のプロイセン(ドイツ)によるアルザス併合によって、ドイツのものとなったストラスブール。
併合後まもなくして、アグノーの床屋の息子が、ストラスブール大聖堂の広場の北側に店を構え、家具、銀器、陶磁器、象牙細工品などを売り始める。ストラスブールにおける骨董屋の誕生である。
骨董品店バスチャン

1900年頃、近くにアトリエを構えていた陶芸家のシャルル・バスチャンが、当時の店主であったジュリーと結婚した。
バスチャンのこうのとり
シャルルが描いたアルザスのこうのとり。ストラスブールのマーレンハイム通りのブラッスリーの室内装飾。

シャルル・バスチャンは、ストラスブールの芸術学校の教壇に立ちながら、水彩画、油絵、陶磁器の制作に励んでいた。骨董屋に務めるようになってからは、古い家具、彫刻、絵画、陶磁器の目利きとして、様々な傑作品を入手するようになる。
バスチャンのフレスコ
アグノー歴史博物館の入口を飾る壁画。レオ・シュヌグの絵をもとに、シャルル・バスチャンがセラミック制作を行った。描かれたのは、15世紀に有名だったアグノーの写本装飾のアトリエ。

1922年、ジュリーが亡くなるも、その4年後、再婚。1927年に、長男ジャンが誕生する。シャルルが51歳の時であった。
バスチャンの瓦屋根
シャルルが手がけたコルマールの聖マルティヌス大聖堂の瓦屋根。モザイク屋根は、壮大なお守り。

1940年、ナチスドイツが攻めてきた際、一家は一時ドールへ避難するも、1年で、ストラスブールに舞い戻る。戦時中は、友人たちの家具を買って、店に保存することを繰り返した(供託物は買い取らない主義であった)。シャルル・バスチャンの息子、ジャンは、1943年10月、16歳でドイツ兵に入隊させられ、戦時中はドイツで弾薬を補給する仕事に就いた。(マルグレ=ヌーについては、今度書きますね)
ストラスブールの見どころ

戦後、豊富な経験と審美眼を備えたシャルルであったが、壊疽で足を切断。息子のジャンに、店を任せるようになる。その後も、1952年に息を引き取るまで、優しく、ときに厳しく、息子を見守り続けた。
骨董品店バスチャン
ストラスブールで作られたとされるルイ15世様式のアームチェア。
ジャンが入手しようとした品を、「時代にそぐわないないので、店に置けない」と、シャルルが断ることもあった。

1977年、バスチャン骨董店は、月桂冠に囲まれた、赤い帽子をかぶった大聖堂の看板を設置する。その上には大聖堂を見上げる男の顔の彫刻が。
ストラスブールの見どころ
こんな話がある。
フランス革命後の1793年、「(上部が突き出た尖塔は)平等の精神に反する」という理由で、大聖堂の尖塔を取り壊そうとする動きが起きた。ストラスブールの鍵前屋が、「それなら、尖塔に(自由への解放を象徴する)大きなフリジア帽をかぶせよう」と提案したと言う。ストラスブール大聖堂の尖塔は、フランス人らしいユーモアによって救われた
この小話を象徴する看板と、大聖堂を救った男の顔が、今も店の角を飾っている。

現在のバスチャン骨董店は、シャルルの孫、曾孫たちが、大事に店を守っている。
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