日本のバイオリン教育とアルザスの関わり

今から50年前の4月に発売された荒井由実の3枚目のシングル『やさしさに包まれたなら』。
宮崎駿監督の映画『魔女の宅急便』の挿入歌として、全世代の人に知られるようになった。
魔女の宅急便

小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた
優しい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても 奇跡は起こるよ
カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目に映る全てのことは メッセージ
小さい頃は神様がいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱 開くときは今
雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目に映る全てのことは メッセージ
カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目に映る全てのことは メッセージ

目に映る全てのことがメッセージ」なので、
1983年以降、宮崎駿映画に音楽を提供し続けている久石譲のルーツとなったバイオリンについて調べてみた。
久石譲は、小さい頃、鈴木鎮一バイオリン教室で、バイオリンを習った。
久石譲

私は小さい頃、バイオリンを10年ほど習っていたが、バイオリンといったら、「鈴木」だった。
「鈴木のバイオリン第1号」が完成したのは、1888年。
愛知県に本社のある鈴木バイオリンの創業者、鈴木政吉は、三味線職人であったが、初めて見たバイオリンに惹かれ、見よう見まねでバイオリン製作を始めたらしい。

鈴木政吉の三男、鎮一は、幼児期からバイオリンに囲まれる環境に育った。
彼が、音楽・芸術に本当に関心を持つようになったのは、高校生の頃、シューベルトの『アヴェ・マリア』のプロの演奏を聴いたときから。
アヴェマリア
第二次世界大戦後、「スズキ・メソード」という教育法を創始した。

日本でバイオリンを習うといったら、「スズキ」は避けて通れなかった。
バイオリン教本
現在は新装したが、私が子供のとき使っていたスズキの教本。10巻まであった。

鈴木鎮一は、第二次世界大戦前、約8年間、ベルリン高等音楽学校の教授であったカール・クリングラーに師事し、経験を積んだ。
ドイツ人教授として紹介される、このカール・クリングラー(Karl Klingler)の出身地は、何を隠そう、ドイツ占領下アルザスのストラスブールだった。
カールクリングラー
またしても登場する、世界とアルザスの関わり。

ちなみに、鈴木鎮一は、ドイツ滞在中、アルベルト・アインシュタインなどとも交流があった。
鈴木バイオリン
日本に帰国後は、「どの子も育つ」という信念で、日本の音楽界、教育界を率いた。

『魔女の宅急便』で、キキのお母さんは、自分のホウキを娘に渡した。
私たちも、必ずどこかで誰かのいのちのバトンを受けついでいる
久石譲『かあさんのホウキ』


ところで、ホウキが折れて、心が折れて、自信をどん底まで無くしていたキキを励ましたのは、友達のウルスラの描いた絵であり、
キキが再び飛べるようになったのは、友達のトンボを助けたい、という純粋な思いだった。
キキの絵
『星空をペガサスと牛が飛んでいく』 キキがペガサスで、ペガサスが牛?

キキは、故郷から旅立つ時、木に付けられていた鈴を鳴らして、飛び立った。
『魔女の宅急便』の原作者の角野が、映画化に際して、宮崎駿監督に対して出した唯一の注文は、「キキが旅立つ時にキキの故郷の木に付けられている鈴を鳴らす事」であった。
魔女の宅急便の鈴
映画『魔女の宅急便』の鈴は、「鈴」というより、「鐘」の形をしている。

欧米にいる人は、教会の鐘を、日本にいる人は、神社の鈴を、聞く機会があると思う。
そんなときは、この歌を思い出してほしい。
大切な箱を開くときは今!
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