1871年、ドイツに併合されたストラスブールは、新しく、
ライヒスランド(Reichsland)の名で、ドイツの拠点都市として生まれ変わろうとしていた。
ドイツは都市整備を進め、ストラスブールの面積をそれ以前の都市面積の
3倍ほどに広げようとした。
その時、もともとの旧市街の景観を壊さずに、イル河の外側に作られ、ドイツの中心となる機関が置かれたのが、
ニュースタッド(Neustadt、「
ドイツ地区」とも呼ばれる)である。
ロータリー交差点の
レピュブリック広場(共和国広場、Place de la République)に面する建物は、ほとんどが
ネオ・ルネサンス、ネオ・クラシック様式に統一されている。

ベルリン大聖堂に似せた
ライン庁(パレ・デュ・ラン、旧皇帝庁、Palais du Rhin)は、1889年、
ドイツ皇帝の家族や側近たちを迎え入れるために建てられた。
神聖ローマ帝国の象徴であるストラスブール大聖堂と、フランス国の象徴であるパレ・ロアンの近くに、この建物を建てなかったのは、ドイツ側の配慮か。
この地区に
ドイツを象徴する大きな建物がいくつも建てられたことは、
新しい都市の実現を信じて疑わなかった証拠であろう。皇帝は自分の権力を象徴するため、「とにかく建物を大きくしろ」と命令したらしい。
これほどまでに19世紀末~20世紀初めのドイツの建物が集まってよい状態で残されているのは、ドイツでも無いらしいので、この地区は必見だ。

広場をはさんで、ライン庁の向かいには、1895年建築の国立大学図書館(BNU)があり、中には、フランス、ドイツの書物が300万冊以上所蔵されている。フランスで
2番目に大きな大学図書館である。

文学界、哲学界のヨーロッパの著名人たちの顔が外壁に刻まれている。

その隣には、バ・ラン県の県庁が。滞在手続きをする移民たちの行列でにぎわっている。

大学図書館から道路をはさんで反対隣には、1892年に建てられた、ストラスブール国立劇場がある。元は、
州会議事堂として利用されていた。このシンメトリーの建物は、アルザスで唯一の
国立劇場で、オペラ以外のコンサート、ショーを定期的に開催している。
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