人に会いたくない、でも本を読む気力がある人におすすめの本は、
三浦綾子 の本である。
自殺したい人 、生きることに疲れてしまった人には、本を読む気力は残っていないだろう。
『完全自殺マニュアル』なる本を買うよりも、おすすめしたいのは、
ダンテ・アリギエーリ著、平川祐弘訳、ギュスターヴ・ドレ絵の『神曲』 である。
未来を考えること、今を生きることができなくなってしまったら、まずこの本をパラパラとめくりながら、絵を見てほしい。
天国への道は、地獄から始まる。 今から約
700 年前に書かれた世界文学屈指の大傑作。
1300 年春、人生の道の半ば、
ダンテ は、地獄、煉獄、天国を
7日 間かけて旅する。
ダンテは、この大作を1321年に完成させ、その直後に病気で亡くなった。
話が知りたくなったら、どこでもいいから読んでみるといい。正直、カタカナの名前ばかりで萎えるが、地獄、煉獄、天国の3つの世界が、これでもかという表現力で書き綴られている。詩的迫力に富む描写のノンフィクションのような壮大なフィクション。
均斉のとれた
3 部(三篇)構成。しかもその中には前後左右に伏線があり、ヒントがあり、その複雑な構成は、実によく考えて造られた建造物のよう。
大聖堂がその総体を遠くから眺めてもすばらしく、また細部の造作を近くから仔細に観ても美しいように、全体の骨格との関係を考慮に入れずに読むことのできる詩が数多く散りばめられている。
この本のすごい所は、それだけではない。日本語で読むとわからないが、原文は全てテルツァ・リーマ(三韻句法)を使って書かれているのだ。各文末に、aba、bcb、cdc…というように、韻が踏まれている。
Nel mezzo del cammin di nostra vi
ta (a)
mi ritrovai per una selva oscura, (b)
che la diritta via era smarri
ta . (a)
人生の道の半ばで
正道(せいどう)を踏みはずした私が
目をさました時は暗い森の中にいた。
Ahi quanto a dir qual era è cosa du
ra (b)
esta selva selvaggia e aspra e forte (c)
che nel pensier rinova la pau
ra ! (b)
その苛烈で荒涼とした峻厳(しゅんげん)な森が
いかなるものであったか、口にするのも辛い。
思い返しただけでもぞっとする。
Tantʼè amara che poco è più mor
te ; (c)
ma per trattar del ben chʼiʼ vi trovai, (d)
dirò de lʼaltre cose chʼiʼ vʼho scor
te . (c)
その苦しさにもう死なんばかりであった。
しかしそこでめぐりあった幸せを語るためには、
そこで目撃した二、三の事をまず話そうと思う。
ダンテが生きた13世紀~14世紀は、比較的裕福な社会的地位が高い人のみが読めるラテン語の書物が一般的だった。ダンテは、当時実際に話されていたトスカーナ方言を使って、『
神曲 』を書いた。それが、現在イタリアで一般的に使われている標準
イタリア語のもと になった。
さらに近年、数学者が、『
神曲 』は、綿密に計算し尽された設計図を基に築き上げられているということを、
現代のテクノロジー を用いて発見した。
ダンテは、聖霊数とも恩寵数とも呼ばれる象徴数「
7 」を、シンメトリーの中心軸に用いている。説明するのは、難しいが、図にすると以下のようになり、秘数に、
7 、
10 、
13 の数だけが現れる。(数字に関しては、本ブログのカテゴリー「
神のちから 」で紹介)
藤谷道夫著『ダンテ『神曲』の近年の研究動向』より
ダンテ自身は語っていないし、当時誰も解き明かせなかったのに、ここまでする?
全ての出来事・事象の中心に、目に見えない神の恩寵が存在する ことを暗示している。
私の大好きな絵本、谷川俊太郎著『考えるミスター・ヒポポタムス』に、こんななぞなぞがある。
「白いからだに緑の手、すごく痩せてて、こわーいカバ、なーんだ?」
答えは、「墓場に立ってる若葉のシラカバ」。
イメージしにくい人には、『
神曲 地獄篇 』の第
13 歌、第
7 の圏谷(たに)の「自殺者たち」の絵を見てもらいたい。
地獄篇には、肉欲の罪を犯した者、暴力を用いた者、欺瞞の罪を働いた者、裏切りを働いた者などが登場するが、この「自殺者たち」の絵が、私には一番怖かった。木は大地に固定されたものであり、それは、自殺者の魂のどうもがいても逃げ出すことのできない苦悩を表している。
この世から消えてしまいたい、生きるのが辛いと思っている人。病気や障害を抱えている人。大きな失敗をしてしまった人。恋人がいない、友達がいない、家族がいない人。金がない、仕事がない人。大切な人を失ってしまった人。何も誰も信じられなくなってしまった人。
今どん底の状態で、嵐が吹き荒れていても、いつかは晴れるときがくる。晴れの日がすぐに来なくても、そこには何か意味がある。でも、神に愛されているのに、もし自分を殺して、永劫に救われないという地獄に堕ちてしまうかもしれないとしたら?しんどいこの世の中より、最低最悪の恐怖と痛みがいつまでも続くなんて…。
休めるときは、いっぱい休めばいい。
「今日はいい天気だったから、ずっと川で浮かんでいた。
ぼくは一生なんにも考えずに生きていけるのではないかと考えた。」
谷川俊太郎著『
考えるミスター・ヒポポタムス 』より
本を読む気力が出てきたら、『
神曲 』を最初から読んでみてほしい。『神曲』は、読む人々の立場によって、様々な光を反射する。キリスト教至上主義に偏重している点は大目に見てほしい。
ダンテは、天国で、天上の純白の薔薇を見、この世を動かすものが神の愛であることを知る。神の光は、各自の価値に応じて、宇宙の万物をあまねく照らす。
バラ窓って、そんな意味があったのか。
最後まで読めなくてもいい。聖書の引用や実在した人物の他に、ギリシャ神話やローマ神話の神々や怪物がどしどし登場し、「わからない」「あれ?」と思うことが多々あると思う。
まだまだこの世界には、面白いことがいっぱい残っている。地球の歴史の中で、長い長い時間をかけて、たくさんの人々が、たくさんの生き物たちが積み上げてきたものが、この世の中には溢れている。何でもいいから探してみては。
「森の入口は、どこにでもある。
森の歩き方も、いくつもあるのだ。」
恩田陸著『
蜜蜂と遠雷 』より
(本物の森を1人で歩くのは、太陽の出ているときにして)
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