時代に翻弄されたアルザス人画家、レオ・シュヌグ

前回紹介したオークニグスブール城で、「皇帝の間」の壁画を担ったのは、
ドイツ占領下のストラスブールで生まれたレオ・シュヌグである。
フランス
彼が幼少期を過ごしたランペルトハイムのレオ・シュヌグ通り

落ち着きのない子供だったが、幼い頃から演劇の衣装に興味を持っていた。
ストラスブール、ミュンヘンの美術学校で芸術を学び、たくさんの友人、師匠を得る。
サン=レオナールの会」というアルザスの芸術家たちの集まりにも度々参加した。
アルザスの画家
アルザスの芸術家の作品を専門に扱っていたストラスブールの画廊(ブリュレ通り)。現在は、「ERITHAJ」というチョコレート屋さんになっている。

歴史上の人物、中世ファンタジーの世界、軍服を描くのに長け、
ポスター、カード、ラベルなどの絵、壁画の数々を世に送り出した。
レオシュヌグの壁画
こちらはアグノー歴史博物館入口のセラミック『皇帝の宮殿』

彼の評判はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の耳に入り、オークニグスブール城の壁画を手がけることとなる。
オーケニグスブール城の壁画
皇帝の間を、各時代の城主の見事な絵で飾った。

仕事は順風満帆に見えたが、1914年、第一次世界大戦が勃発。
ドイツの下士官となるもの、アルコール依存症で除隊。
アルザスの居酒屋で飲んでは、自作のデッサンで会計を済ませていた。
アルザスの画家
こちらはランペルトハイムの役場にある絵『ティエルンシュタインから』

1918年、大戦後アルザスはフランスに戻ったが、過去にドイツ皇帝のために絵を描いていたレオ・シュヌグは、フランスでは評価されなくなっていた
1921年に精神病院に収容され、そのまま病院を出ることなく、1933年に亡くなる。

酒と妄想にとりつかれ、歴史に翻弄されたアルザス人。
フランスや世界で評価されたドーデアンシとは、対照的な人。
墓
彼の故郷にある彼の墓は、装飾豊かな墓に囲まれる中で、着飾らず静寂に包まれていた。

光が多いところでは、影も強くなる
ゲーテより
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