歴代最長の
70年という長い期間、君主を務めたエリザベス女王が亡くなった今年。
フランス最後の王妃と言えば、ルイ16世の妃、断頭台に散ったマリー=アントワネットが有名だが…彼女は生を全うしていないので、今日は置いておいて。
フランス王妃として、最初から最後まで毅然と生を全うした、フランス最後の王妃といえば、
ルイ15世の正妻、
マリー・レクザンスカである。

マリエンタル聖母教会。
どんな逆境下でも、
信仰心を失わなかった彼女の生涯には、アルザスが大きく関係している。
マリーの父は、ポーランド王スタニスラス。自国が政治的難局を迎えたため、家族でフランスに亡命し、
アルザスのヴィッセンブールに滞在していた。
その頃、ベルサイユ宮殿では、若きルイ15世に早く世継ぎをという声が上がっていた。100人以上の王妃候補者リストの中から、大人たちが選んだのは、健康状態が良好で、敬虔なカトリック教徒で、若すぎず、
子供を産みやすそうな体形をしていたマリーであった。

1725年8月15日、マリーは、ルイ15世の代理人と、
ストラスブール大聖堂で結婚式を挙げる。ルイ15世自身と初めて会うのは、翌月のことであった。
1727年~
1737年にかけて、10人の子供をもうけたが、長じたのは1男6女。幾度もの出産で命の危険が生じたため、その後マリーは王を受け入れられなくなっていた。

一方、ルイ15世は、その前から、数多くの女性と関係を持つようになっていた。
マイイ伯爵夫人や
ポンパドゥール夫人など、公妾や寵姫を持つようになっていった。
マリーは、そんな夫の情事を知りながら、
慈悲深く、気高い王妃であり続けた。
マリーは、非常に教養が高く、敬虔で、教育熱心であった。
当時の風習で、自分の子供は司教や修道院に預けなければならなかったが、
後に、
ヴェルサイユに修道院を設立し、召使いの教育に力を尽くした。

マリエンタル聖母教会。
彼女は、聖母マリアを敬っており、
アルザスの
アグノーのすぐ近くにある
マリエンタル聖母教会を定期的に訪れ、寄付をしていた。

マリエンタル聖母教会は、今でも巡礼地の一つとなっている。
「
貧しき人にシャツがないのなら、私はドレスなんていりません」と言ったのも彼女。
次の王妃
マリー・アントワネットとは正反対!
マリーは、芸術を愛し、ヨーロッパ中から芸術家を宮廷に招聘し、ヴェルサイユを華の都にした。
モーツァルトをヴェルサイユに招いたのも彼女。

マリエンタル聖母教会のイエス・キリストの十字架像。
(キリストは、空にずっとあるのに見えない何千億もの
星のような存在。世界中のみんなで分けても、たくさんあるから大丈夫。)
王宮きっての
食いしん坊としても知られ、彼女の時代に、
ブーシェ・ア・ラ・レーヌや、
マドレーヌなど、美味しい料理、お菓子が生まれた。(彼女は、食べ過ぎで、腹痛になることも多々あった)

アルザス名物、ブーシェ・ア・ラ・レーヌ
ルイ15世とマリー・レクザンスカの息子、長男のルイ・フェルデンは、父ルイ15世とは異なり、敬虔で厳格な人物だったが、両親よりも先に亡くなった。よって、ルイ15世の跡継ぎは、孫のルイ・オーギュスト(
ルイ16世)となった。
その後のフランスの進む道は、『
ベルサイユのばら』などで、ご確認を。

イエス・キリストの誕生を描いたステンドグラス。もうすぐクリスマス!
きっとマリーは、この時期にもアグノーに来たのだろうなあ。
彼女の波乱万丈の人生、ドラマや映画にしたら、ヒット作になると思うのだが、
彼女は金儲けの対象になることは望んでいなかったと思うので…

どうか内緒に!
「
Fais attention, le secret survivra !」
la Reine des neiges
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