アルザスを代表する画家の生誕150周年

今から150年前の2月23日にコルマールに生まれた、アンシおじさんは、有名だが、
今日は、その3日前、1873年2月20日に生まれたアンリ=エドゥアール・ルクスについて、紹介したい。
アルザスで彼の絵を知らない人はいないというのに、ほぼ無名の画家である。

ストラスブールから北へ約30分、オーウェンハイムの町で生まれたアンリ・ルクス。
幼少期は、その隣町のセッセンハイムで過ごす。(ゲーテゆかりの地)
セッセンハイムはプロテスタントの町として知られていたが、彼もまた敬虔なプロテスタント教徒であった。
ルクスの皿
彼の描いたセッセンハイムのプロテスタント教会。
彼は、季節によって移り変わる自然と農村での暮らしをこよなく愛した。

ストラスブール、ミュンヘンの美術学校で学んだ後、アルザスのフォークアートの世界へ。
青年期の彼が過ごした1890年代は、フランスではアール・ヌーヴォーが、ドイツではユーゲント・シュテールが盛んだった時代。
ルクスの絵
ポスター、メニュー、ワインのラベルなどを手がけ、アルザスの田舎の景色、民族衣装、アルザス人の牧歌的な生活を描き続けた。

アルザスの「サン=レオナールの会」という芸術家たちの集まりに、度々参加し、レオ・シュヌグなど数多くの友人や知人を得た。
ルクスの絵
彼が手がけた、1900年パリ万国博覧会のアルザスパビリオンのポスター。

1900年代初頭、ロレーヌ地方サルグミーヌのファイアンスリー(ファイアンス焼きの工房)では、新しいモチーフを探していた。友人たちの紹介により、食器に載せる絵の提供者は、アンリ・ルクスに決まった。
ルクスの皿
最初はリトグラフで、途中からはセリグラフィーで、食器が大量生産されるようになった。

彼はわずか34歳で病に倒れ、この世を去る。
だが、彼の絵は、それから100年以上、アルザスの家庭の食卓を彩るのだ。
ルクスの皿


誰にでも子供の時の忘れられない記憶というものがある…
私にとってそれは、
首の所がさらさらになっていた大好きなくまのぬいぐるみだったり、
父が夏に庭で用意していたジンギスカンだったり、仕事後の汚い作業着だったり、
母が作ってくれたおにぎりや卵焼きだったり、一緒に走った大学の周りの道だったり、
姉と迷子になったディズニーランドの「小さな世界」のアトラクションだったり、
母方の祖父にこっぴどく叱られた、私が割った曾祖父の灰皿だったり、
母方の祖母にいれてもらった温かいお茶だったり、
叔母の作ってくれた明太子のスパゲティだったり、
北海道
5歳の時に1人で家出して、数日間泊まった父方の祖父母の狭い団地の寝室だったり、
従兄弟と遊んだ公園の遊具だったり、
毎日学校に通うときに見ていた水田だったり、
北海道
夏休み中、毎朝6時半に、近くの公園でしたラジオ体操だったり、
浴衣を着て行った夏祭りだったり、
近所の林で見かけたキタキツネだったり、
夏から秋にかけてたくさん飛んでいたトンボだったり、
雪が降る少し前に空から舞い降りる雪虫だったり、
北海道
友達に貸してもらった『星の王子さま』だったり、
友達に何回か連れて行ってもらった教会だったり、
友達と雪の中出かけた大晦日の夜の神社だったり…する。
北海道
自然がいつも身近にあって、自由に息を吸って吐いて、自由に空を見上げて、自由に虫を捕まえて、自由に絵を描いていた。
歩いて、自転車で、世界の果てまで行けるような気がしていた。
たくさん遊んだ後に薄暗くなってから帰る家は、温かいこともあれば冷たいこともあったけれど、テレビゲームより3倍おもしろい毎日が存在していた。


今の日本の子供にとって、思い出として残るのは、、3年以上、肌身離さず着けているマスクなのだろう。
クラスメイトの顔を知ることもなく、歌うことの喜びや、スポーツすることの本当の気持ちよさを味わうこともなく、育った今の日本の子供たちは、本当にかわいそう…。
マスクの日々
大国が作りあげた、ひどいイデオロギーの中で、形ばかりの「自由」を手にしても、何もおもしろくないよ。


夫にとってのかけがえのない思い出は、このアンリ・ルクスの絵が印刷された食器に詰まっているらしい。
人工知能には創造できない、暮らしの芸術
1900年代アルザスの田舎の様子を今に伝える遺産。
中高年代以上のアルザス人たちが、毎日食卓で目にしていた食器。
ルクスの皿
義父母が、アグノーの中古品店「アルザ・トロック」で見つけて来てくれた。
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コメント

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意外とそんなことないですよ
日本の子供達、意外とそんなことないですよ
旭川東高野球部は昨年の夏、スタルヒン擁する旧制旭川中(現旭川東高)が北海道大会で決勝に進んで以来となる北北海道大会決勝の舞台にたちました。残念ながら同じ地元旭川大学高校に敗れましたが、彼らは旭川東高の先輩方が誰も見ることができなかった甲子園に手が届きそうという景色を、仲間とそしてスタルヒン球場で全校応援する旭川東高全校生徒と一緒に見たはずです。
 そして、東高に勝った旭大ナインは、甲子園で、結果敗れはしましたが卒業後複数がプロに行く大阪桐蔭に真っ向勝虞を挑みました。旭川の子供達、たくましいですよ

ぶるぐれんとうざき

雲外蒼天
旭川万歳!
恥ずかしながら、ヴィクトル・スタルヒンというすごい人間がいたということを今頃知りました。
今の子供たちも、逆境を乗り越えて、やさしさや強さを生み出すのでしょうね。
去年のサッカーWカップを見て、練習中もずっとマスクをしていた日本人の選手たちの強靭さと礼儀正しさに心を打たれました。
マスクを外すのは人前で下着を脱ぐように恥ずかしいと、マスクを「顔パンツ」と呼ぶというのを聞いて、衝撃を受けましたが。
こんな時代もあったねと、いつか笑って話せる日が来るのでしょうね。
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ぶるぐれんとうざき

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